石丸真平 プロフィール

shinpei

【大公開】石丸真平のプロフィールとは?19歳で起業した理由と総理大臣を目指す男の経歴を紹介

「石丸真平さんは何をやっている人なの?」
「総理大臣を目指しているって本当?」
「19歳でどうやって起業したんだろう?」

株式会社NextScaleの代表である石丸真平は、15歳からフリーランスを始めて、19歳で起業し、50歳での総理大臣を目指しています。

そこでこの記事では、

  • 石丸真平のプロフィール
  • NextScaleの主な事業
  • 今後の展望

につい紹介します。石丸真平が不登校で周りからも怒られてばかりだった時から、起業して総理大臣を目指すに至った流れが分かる内容になっています。ぜひ最後までお読みください!

石丸真平?何している人?

現在20歳で、株式会社NextScaleの代表取締役をしています。

今までの主な活動・実績は以下の通り

  • Web制作、SNS運用、マーケティングのお仕事
  • SNS集客のみで高校生限定のイベント開催
  • 起業家シェアハウスの設立・運営
  • プログラミングに関する勉強会の開催
  • Unityを使ったゲーム開発
  • 小中高生にプログラミングを教える講師
  • ITに関する講演、セミナー講師
  • フォロワー2万人を超えるSNSの立ち上げ・運用
  • 20歳で最高月商600万円
  • 当ブログの運営 etc…

昔から考える事のスケールが大きくて、「面白そう!」と思った事はすぐに行動して突っ込んでいくスタイルだと言われます。

真平
真平

細かい事考えずに突っ込むから後々苦労する事ばっかりなんですけどね。笑

希望に満ち溢れた小学生時代

僕は2002年8月5日に愛媛県東温市で生まれました。

両親は介護士と運送ドライバー的な事をやっている一般的な家庭で育ちました。
少し一般家庭と違った点は、物心ついた時から家庭崩壊していたくらいです。その影響なのか、人見知りが激しく、繊細で感受性が強い子供だねと言われてました。

小学校入学後も人見知りが激しかったので最初は友達が出来なかったのですが、幸い同級生が16人しかいない小さな学校だったので徐々に打ち解けていきます。

勉強も得意で運動も得意だったので学校生活は楽しく、毎日友達の家で遊んだりしてました。

しかし、小学校2年生頃から学校に行く事に疑問を抱き、不登校になりはじめましたね。

理由は色々あるのですが、好奇心旺盛なタイプだったので興味のある事だけをやりたかったんですよね。例えば、ペットボトルいかだ作ってカヌーしようとしたり、でっかい会社の社長になりたかったのでビジネスの勉強をしたかったり…

しかし、普通の両親と学校の先生達に理解してもらえるわけもなく、無理やり学校に連れて行かれる事もありました。

小学4年生で転機が訪れます。
スマホをGETして、初めてインターネットに触れました。

ビジネスの事も学校教育の違和感も、色んな知識やニュースが全て知り放題!!
益々不登校になり、1日中スマホで勉強してました。

その結果特定分野の知識量は異常に増え、今の僕を作った礎になっています。
学校に行くより圧倒的に効率がいいし、益々学校へ行く意味も見失っていました。

ですが、周りの大人達は「学校行かないと将来大変よ」とか「学校は義務だから行かないと捕まるよ」とか子供騙しの事を言われてたので、学生時代は大人をバカにしてましたね。笑

小学校5年生時点では今の僕が出来上がっていたので、あまりにも周りと話が合わなくなってここに居ては本当の自分が出せずに、やりたい事も出来ずに人生が終わってしまう。と思いよくプチ家出してました笑

夜中の12時くらいに裸足で家を飛び出して、「この先どうやって生きていこうかな〜」と考えながら家出したり、数日準備して計画的に家出したり。

夜中に家出した時はパトカーで家まで連れてかれました。笑

自殺危機の中学生時代

中学校になれば
「やりたい勉強が出来る学校生活があるのではないか?」
「将来に繋がる生活が出来るのではないか?」という希望を持ち入学しました。

しかし、小学校の延長線上でしかなく、話の通じない上に暴力で解決しようとする脳筋先生が多かったので中学校も不登校になりました。

ここから僕の大きな谷の時間が始まります。

親とも話さず、友達とも会わず、学校にも行かずなので2年間ほどリアルに自分の部屋だけで生きていました。

俗にいう引きこもりですね。

2年間の内、1年半位は自殺を試みてました。

引きこもってる間も、誰かが助けてくれるのではないか。救ってくれるのではないか。
と心の片隅に微かな希望も持ってた。

けれども誰も助けてなんてくれなかった。

将来に希望のカケラも無くなり、現状もクソみたいな時間を過ごしていた僕の唯一の希望は死ぬ事でした。

だけど、実際に死のうとする時ってめっちゃ怖いんですよね。
手も震えるし、足も震える。

そして少しずつ一つの事に気づきます。

自分の人生自分次第

当たり前だろ。って話なんです。
当時の自分も自責の考えは持っていました。

けれどもこの当たり前な話をどれだけ深く、強く自分の心と脳に刻む事が出来るか。
ここが甘かった。

死ぬという選択も自分で出来るし、生きる選択も自分で出来る。
自分の人生変える選択も出来るし、変えずにクソみたいな人生を送る選択も出来る。

その時初めて自分の人生自分次第だなと体感した。

そして「どうせ自殺するならクソみたいな人生と社会を変えるチャレンジしてからでも遅くない」と思い始めます。

そこから総理大臣を目指し始めました。

人生が変わり始める

社会を変えるために仕事をAIで自動化して無くそうと思い、プログラミングを始めました。
とはいえ、PCを買うお金も無かったのでアルバイトを始めます。

2年間の引きこもり生活脱出ですね。笑

そこから人生がどんどん変わっていきます。
東京に行ってみたかった僕はNPO法人DxPのプログラムで初めて東京に行きます。


そこで初めて同じような境遇の同世代、話が合う人達と出会いました。
この時の経験がきっかけとなり、1年後東京へ引っ越します。

そこで今井さんの紹介でリバ邸に住む事になりました。


この東京での時間は僕の人生を大きく広げてくれた時間でした。

最初は社長さんってどんな人達なのか?起業の話を聞きたい!という気持ちからWantedlyで500社くらいに「将来起業したくて愛媛から上京してきました!社長さんとお話ししたいです!」みたいな連絡を送りました。(当時の方々すみません🙇)

すると150社くらい返信があったので、ひたすら社長さんに会いに行ってました。
めっちゃ面白い社長さんもいれば、とてつもなく怪しい感じの人もいました笑

仲良くしてもらった社長さんからは簡単なWeb制作のお仕事いただいたり、相談にのってもらったりしてました。

色んな起業家育成系のプログラムに参加したり。

プログラミング系のイベントや勉強会に行ったり。

高校生限定のイベント主催したり


10代で東京という場所に単身で飛び込んで良かった!
アルバイトで貯めた70万円くらい全部使ったけど笑

そこから愛媛に帰ってきて、リバ邸を創り始めます。

しかし、上記の物件は売却される事となり、松山で創り始めます。

その時一緒に創ろうとしてたメンバーで内見しまくった!

そして、リバ邸愛媛 Pay it Forwardが生まれました。


また、東京から帰ってきてテックアイエスで長期インターンを始めます。

そして現在

2022年3月に株式会社ネクストスケールを創業しました。

小さい頃からの夢であった起業家のスタート。

主にWeb制作やECサイト構築、LINE構築の制作業務を受託しています。
また、宅建を勉強しており不動産業へも挑戦出来ればと考えています。

今後の展望

僕が創りたい社会になるまで、総理大臣を諦める事はないでしょう。

僕には地盤もなければ鞄も、看板も無い。
だから、これから30年でそれを築き上げていく。

その為には、今のビジネスで成功して、海外展開もしたいと考えてます。

夢は大きく志は高く。やる事は愚直に。

ブログに対する思い

僕のブログの目的は自分の知見を誰かと共有することです。

SNSが発達し、全国民がスマホを持つようになった事で、情報の受け取り方、発信方法が大きく変わりました。

例えば、昔はテレビと新聞でしか情報の受け取り方法が無かった為偏った情報。
発信側も特定の企業しか発信出来なかったのです。

その点、現代では全国民が情報発信が出来るようになりました。

自分の過去の体験や経験が誰かの人生を少しでも変えたら最高じゃないですか?

僕自身、マイノリティな生き方をしてきたので、これまでの経験や知見で誰かの助けになったり、学びになれば嬉しいなと思います。

連絡先

最後に。連絡先です!是非フォローお願いします!

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今後も様々な記事を書いていくので、よろしくお願いいたします!

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